余談ですが、、、、、、
一律化を目指す日本の社会
鳥瞰図の作成というささやかな作業を通じてさえ気づかされることですが、地名の消滅にも
あらわれているように、今我々の社会はどんどん平板な姿に変貌しつつあるのではないでしょうか。
私達の見方にしても マスメディアを通じて 一つの見方を強制する力がかってないほど強まって
います。違った考え方をぶっつけあうのは本来楽しい経験であるのに 高飛車に一刀両断する非難の
言葉が大活字で横行しているのを見れば 自分の意見の公表をはばかりたくなります。
議論しようとすれば あの不愉快な大活字を相手の口から聞くかもしれないからです。
対抗するために自分も聞く耳をふさいで大活字で反論しそうだ、そんな自分にも嫌気がさします。
女子高校生のルーズソックスがあっというまに100%くらいに広まり またあっという間に消えていきました。
これも単なる流行現象というだけでなく 自分に見えない強制力,,, みんなと同じにしている限り
気づかずにすむ,,,, が働いていないでしょうか。
広島の街角に、被爆者が描いた絵をパネルにして置こうということになりました。
ところが、これに対して、「絵が悲惨すぎる、子どもの目に触れさせるべきではない」と
反対する声があがりました。
平穏な街角に、砂をかむような違和感が生じるのは確かですが,,,,,,
「一石を投ずる」という言葉を思い出しましたが、これって テロ行為になるのか?、、、、
地図からはなれた余談になりましたが 「自分の視線」,,,,, これは 私にとって 鳥瞰図作成の
きっかけであり 作る楽しみのもとであり 次の地図に向けて新しく工夫するためのよりどころなのですが、
さらにいえば 平板化の進む世の中にあって 常に奥行きと陰影のある世界を見失わないようにしたい、
そのためのキ-ワードだと思います。