瀬戸内海の名称
瀬戸内海の名称

 「瀬戸内海」の呼称も、考えてみれば不思議です。

一体 いつの頃から どのような人々によって どんな視点から名づけられたのでしょうか。

でも百科事典を開いてみましたが この事についての記述がないまま、「瀬戸内海の歴史」が

述べられ あたかも太古からそう呼んでいたかの扱いでした。

 

瀬戸内海.... 瀬戸の内にある海、とはなかなか面白い名称で、<大陸に囲まれた海>という意味の

「地中海」にひけをとりません。でも、地中海が長い歴史のある名称であるのに対して、瀬戸内海の

呼び名は明治末期の地図に初めて登場する呼び名です。都道府県名等のように公式な名称決定

があったのかどうかも明らかではありません。

 

「瀬戸の内」という言い方は狭い範囲を指す名称として古い文献や地図の中から探し出すことも

出来るかもしれませんが それは総称とは別物です。

ちなみに 幕末イギリス海軍作成の海図には 「Inland Sea」(内海) と書かれたものがあり 又

ある狭い海域を指して 「Inland Sea of Seto」 と書かれた地図もあるということです。

従来、沿岸に住んでいた人々の間では 「瀬戸」 の他にも 「〜灘」、「〜浦」などの呼び名が一般に

共有されていました。これらはいずれも航海とか漁業のの必要からつけられた呼び名で、

特定の海域を指し、そもそも内海全体を指す総称はありませんでした。

総称としてあったのは 「西国」、 「南海」、 「西街道」といった呼び名でした。

ここには明らかに都からの統治者の視点が投影されています。

明治末年に 「瀬戸内海」 という呼び名が誕生した背景には 海図に海域の総称を記入する必要

(例えば軍事上、あるいは行政上の)が生じたということがあるのでしょう。

それとも政府による正式な名称決定(があったとして)より以前に 総称としての瀬戸内海という

呼び名がどこかで 生まれていたのでしょうか。そうあってほしいという期待がちょっとあります。

 都中心の視点からの解放?

 沿岸の人々が海域を総体として認識し、共有しようとする視点?

 あるいは日本列島を取り巻く外海に対応する内海という相対化視点の成立?

....またその要因は?

 

 

いずれにせよ、遥かに高いところに視点を設定しない限り 生まれてこないこの名称の成り立ち、

権威によらないで 生まれたとすれば なかなかエネルギーを持った命名だといえるのですが、、、、

 

そこで、改めて前の「日本海」に戻りますが、「瀬戸内海」と総称する発想が日本では中々

生まれなかったように、「日本海」という総称も最初は日本で生まれたのではありません。

世界を周航しながら、世界の海に次々に名前を与えたヨーロッパの探検隊が最初の命名者 でした。

ちなみに、日本の地図で「宗谷海峡」とよんでる海峡は、日本以外では例外なく「ラ.ペルーズ海峡」

と呼ばれています。津軽海峡も、かってはサンガール海峡という名前が付けられていました。

ラ.ペルーズは18世紀の終りごろに活躍したフランスの探検家で

「日本海」の名称は、彼の地図によって 確定したとされています。

(彼以前のヨーロッパの地図では、日本海のほか、東洋海,中国海.朝鮮海など、

 いろいろな呼び名も付けられていて、一定していませんでした。)

 

伊能忠敬の地図にも、日本海という名称はありません。日本が最初に「日本海」と

名付けたのだろうという 韓国側の主張は、いささか買いかぶりというべきでしょう。

 

命名することによって、世界に秩序を与えようとするヨーヨッパの視点があったのでしょうか。

それが「日本海」という名称の背後にあるとするなら、これは又「東海」問題とは

別の根源的な問題ではあります。

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